『ただいま それぞれの居場所』/特別対談

 大宮浩一(監督)×太田宣承(岩手県西和賀町・特別養護老人ホーム「光寿苑」副苑長)

太田―
「今、予告編を拝見していても、とても感じられてくるのが、明るさと言うか、作った明るさではなくて、中から出てくる明るさというものが感じられるんですが、撮影に入られる段階では、どんなことを感じながら、現場に入っていかれたのかというのを、お聞きしたいのですが」
大宮―
「介護の現場の映画というものは今回で三本目にはなるんですが、私としては、その介護の現場をお借りして、あくまで描きたかったのは人なんですね。人と人との関係性というんでしょうか。それは十五年前の一作目から変わってない部分なんですけど。 大宮浩一 監督 着飾れないというか、人間性が剥き出しにならざるをえないと。そうしなければ成立しないというか、そういう介護スタッフの人も利用者のお年寄りの方も、もう隠し事なしに裸になって関わっている現場じゃないのかなと。そういう思いでその関係性、人としての関係性を撮りたかったわけなんですね。私、明後日で五十二になります。で、五十過ぎのスタッフで組もうとも思ったのですが、それだとある世代の価値観でしか見られなくなってしまう、それが嫌だったので、今回は若いスタッフと組んでみました。僕としては介護施設という撮影現場に彼らを放り込んで、20代のカメラマンが、若いスタッフがどういうところに興味を持つんだろうなというのを一歩引いて僕は楽しんでた、というようなところがありました。今、太田さんからお褒めの言葉をいただいた明るさというのは、これは、監督の力量ではなくて、もしかしたら若いスタッフが、若い介護スタッフ、同世代に近い人達と接点があったんじゃないかなと。映画監督って『さぁ俺を信じてついて来い』というイメージがあるかもしれませんが、今回に限れば、若いスタッフの想いというのを大事にしたり……。もちろん僕と意見が違うんです。カメラマンだけでなく編集も三十歳。本当若い人間と。で、まぁ、これがまた頑固な人間で。毎回ぶつかるんですけど、一晩明けると、『わかった、もうお前の言うこと聞くよ』と。そっちが正しいんですね、映画として、特に今回は。だからそういう意味で若い人と組んでよかったな。今、映画の全体の話をさせてもらいましたが、明るさというのはそういう若さ、なのかもしれないと思います」
太田―
「内容に触れないとしゃべれないと思いますので、少し触れさせていただきますが、四つの施設が出てくるんですけど、 太田宣承 光寿苑・苑長 四つの施設が出てくる中で一番最初にドキッとしたシーンというのがこの予告編の中でも出てましたけど、二十歳の男の子が、施設に入所している元・学校の先生と関わるシーンがあるんですけど、ドキドキして見てました。いつも起こっている現場のそのままが出てるなと、この子どうなってしまうんだろう、この後どうなってしまうんだろう、というですね、非常に危機感を感じながら見ていたんですが、あの時というのはどのように見ていたものでしょうか」
大宮―
「夜勤のシーンなんですね、夜勤明けの六時。二十歳の青年が朝だったので起こしに行くんですけども、その施設は施設の方針で入所者におむつをさせないんですね。ですので毎朝布団がぐしゃぐしゃなんです。それで、最初の仕事はパンツの着替えなんですよね。そのためには椅子に座らせなきゃいけないというときに、下手なんですよ、スキルとしては。彼は撮影当時、仕事を転々としてそこの施設に就職してまだ三ヶ月目なんですね。本当に、すごい緊張感がありまして、おじいさん寝起きで、誰でも寝起きって機嫌悪いですよね。それをいきなり起こされて、さぁ着替えようという緊張のシーンがあるんですが、利用者の方は頭突きをしてですね、ちょっと茶髪の彼もムッときて、これカメラがあるといえど、事件起こされたなと思ってるんですが、それぐらいちょっと緊張したんですが」
太田―
「緊張してましたよね」
大宮―
「えぇ。あれは決して介護のスキルとしてはなってないし、よく介護の方が見られるとあれはなってないと。それぐらいのスキルの程度は僕でも理解できたんですが、あえてそれを使ったのは、映画としての緊張感もさることながら、私自身が彼に対する応援のシーンというか、たぶんこのシーンを使おうと思ったのは、映画にまで出てこの仕事を辞めるなよ、という個人的な想いがありまして。映画のキャンペーン取材で一年ぶりにその施設に行きましたら、茶髪だった髪もなぜか黒くなり、一年間で、なんだか見違えてすごく頼もしくなったなという感じはしましたね」
太田―
「この映画で私が感じたことは、本当に現場を押さえているな、と。まず、現実から入って行くというところにですね、あぁ、介護ってこうなのかという、ある意味恐ろしさみたいな、例えば、これからその仕事に就く人達が、現実を、ここが入門編だということで知るという意味では、とても良かったんではないかなと個人的には思っていまして。ただ、ただ、とにかくその二人の関係性が恐くて。今後どうなっていくんだろうかというぐらい、本当に危機感が映像から出てくる。まぁ、言ってみれば、引きつけられるシーンの一つだったんですけども。で、その後に展開していくのはやはり、あの、監督が仰ったように人間とか人、生きるということがですね、どんどん描かれていくんですけども。映画を撮っていく中で、若い映画スタッフの方々を、前面に出して撮っていたということが一つの面白さを出していくと思ったんですけども、撮っていく過程で方針とか方針が変わってきたというか、こう撮ろうとしていたものが、いや、こっちのほうが面白いとか、何か変化したものというのはありますでしょうか」
大宮―
「そうですね、私自身が、撮影現場に積極的に半分ぐらいしか行っていません。本当にいいかげんな監督ですね。撮影現場に行ってないんですよ。それで、その撮ってきた映像を、私はもちろん、スタッフ全員で見て。 (C)大宮映像製作所 そうすると段々ですがこのおじいさんをもうちょっと撮ってみよう、とか、いや、俺はこのばあさんのほうがいいと思う、とか、それはスタッフの意見が全然バラバラなんですね。例えば撮影現場でカメラが右の老人に向いてるのに、マイクは左の老人に向いてるという感じの本当にバラバラなスタッフ。でも不思議と、段々、カメラとマイクが寄ってくるんですね。そういう時は間違いないんです。若い人達がいろんなところに興味がいくんだけども、今この瞬間はこの人じゃないかな、というのが。そういう意味では大きく変わるということよりも段々と変わってきたという部分です」
太田―
「まぁ、いろいろ一触即発する場面もあり、ほとんどは、現実の中でこの人だったら施設で無理だろうなと、たぶん介護の仕事している方はそういう見方をしてしまうような場面って沢山出てきますね。ところが彼らが向き合っている姿、彼女らが向き合っている姿っていうのは本当に監督が意図した対人間のまさにスキルよりも向き合うということがこの中に描かれていたなと思うんですけども。それで一人の奥様がコメントしてるシーンが結構長く時間としてあった訳ですけど、そこに焦点を当てていったというのはどのような経緯だったんですか?」
大宮―
「認知症の方を中心に追いかけたんですが。何人か撮っている中、もちろん撮った方で映画の中で使わせてもらえなかった方もいるんですが、今、太田さんがおっしゃった方は心筋梗塞で、一度、心肺停止になってしまって、少し脳に障害が残ってしまった方の奥さんですね。ちょうど僕らが撮影した頃は、ご主人が病気になってから五年経ってたんですね。で、撮影時、娘さんは二十歳と二十三歳。この娘さん二人が五年前、十五、十八歳という一番多感なときで、もう奥さんは何とか自分の家族でやろうと、家の中で介護をしてたという話を聞いてまして、で、それが難しくなって警察まで入ってこなければならない状況になってしまって。娘さんも当然荒れる訳ですね。それも家の中で。そういう病気になる前まで、すごく可愛がってた犬も、もう、本気で蹴飛ばすお父さんになってしまったと。病気とわかっていながらそういう姿を見てると、もうお父さんじゃない、家に一緒にいたくない、まぁ、中三、高校三年生くらい、何もなくても一番難しい時期かもしれませんね。そういう中で精神病院、いろんな施設、いろんなところを巡り歩いて、それで、映画の施設でやっと落ち着いたというような話を伺っていたので、奥さんを中心にご主人の代弁という形で撮らせてもらったんですけれども」
太田―
「予告編の一番最後にその奥様が出てきて“ただいま”と、“ただいまと言った”というところがありますが、『ただいま それぞれの居場所』というタイトルはどのようにして決まっていったのか、いつ決まっていったのかということを少しお伺いしたいのですが」
大宮―
「実はタイトルがなかなか決まらなくてですね。居場所というキーワードは使いたかったのですが……。それで“ただいま”と言える場所というのは、一箇所じゃないというか、時間によっても違うし、もしかしたら季節によって、人生の季節によっても“ただいま”という場所、“お帰り”と言ってくれる相手、それは変わってもいいんじゃないのかなと。で、それぞれの居場所というのは、僕の中では気持ちではこっちのほうがメインで。この“それぞれ”というのは利用者の方はもちろんなんですが、介護するスタッフもそうなんですね。いろんな仕事やってきたけども、どうもいづらい、自分には合わない。そういう人達が、介護のスタッフとして落ち着いたとき、あ、ここかなと自分の居場所に気がついたように感じられたんですね。それである施設の代表の方は、それこそ、自分に居場所がないんなら作ってしまえと」
太田―
「ないなら作ると」
大宮―
「ないなら作ると。そのパワーを感じて、自分が居やすい場所が年寄りにも居やすいはずだという確信みたいなところが、若い人だからできるのかなという。私、今日、太田さんと初めて会ったんですが、実は、『 いのちの作法 』という映画、たぶんご覧になった方もいらっしゃると思いますけど、そのなかで太田さんをスクリーンを通して拝見しているので、初めての気はしなかったんです。その『いのちの作法』の中で雪不足なのに、雪見ぞりを復活させようと言って、せっかく除雪してある雪をまた道路に戻してそりを走らせるというシーンがあるんですが、あれは、私今回の映画を撮ったせいもあってすごくわかりました。これは一見、お年寄りのためを思ってるようですが、実は違うんですよ。太田さんたちが楽しんでるんです。僕ね、それだと思うんです。こうすればお年寄りが喜ぶはずだという、もちろん基本的なことはあって始まるんですが、でも“俺達したくねぇよな”って思ったら、“したくねぇけど、お年寄りのためだから仕方ない”という風にやってたら、たぶん笑顔とか達成感とか関係性っていうのは成立しないと思うんですね。きっかけは利用者の方、お年寄りの方だと思うんですが、もちろん、いい顔してました。でも、ねぇ、太田さんはじめ、あの、引っ張ってる人達が、なんか一番楽しそうにしてていいな、と思いました」
太田―
「あれ酔っ払ってるんですよね」
大宮―
「まぁ寒いですし力も出ませんよね」
太田―
「ちゃんとガソリン入れないと、という名目で(笑)」
大宮―
「何かしてあげるという一方通行じゃ決してないはずですし、特別養護老人ホームという、いろんな縛りがあるはずの中で、厳密に言ってあんな時間に、あんな冬に、入所している老人を連れ出していいのかと。これは一歩間違えば問題になるかもしれないですね」
太田―
「そうですね。本当に、御家族からしても本当にいいだろうかとか、職員からしても本当にいいだろうかとか。まぁ、雪見ぞりもそうですけど、例えばプロレスを見に行くとかですね、いろんな日常の当たり前に自分達がしていることを何故お年よりはできないのか、ということは確かにあって、そうすると、介護の現場にいる人間というのは段々と、何でもそうですけどその中にいるとその中の常識になっていくんですね。で、あの、よくいろんな方がおっしゃるんですけども、その分野での常識は世間の非常識と言ったりする先生がいます。まさにそういうことが起こるよなと。中だけにいると、家の中だけにいると皆さん息が詰まるのと一緒で、外に出ると、あぁ、ウチの父ちゃんやっぱりいいよな、とか、ウチの母ちゃんもやっぱりいいヤツだよな、とか。ちょっと距離を置くことでそういうことが発生するというのはあると思うんですね。そういう意味で、介護保険の中とか施設の中だけでとらわれないで、外から、あるいは地域からつながっていこうという意味合いでスタッフが楽しんでいる、地域の人達が楽しんでいるということがないと、やっぱり続いていかないというのは現にありますね」
大宮―
「あの、タイトルの御質問に答えながらあのシーンを思い出したんですが」
太田―
「はい」
大宮―
「それぞれの居場所というのは、そういった意味でスタッフの人が楽しむというアクションができる場所になるのかなと。介護の世界に全く違う業種から参入してきた人も沢山いますし、冒頭でご紹介してもらった、二十歳の青年も高校卒業して派遣で全国の工場行っていて、で、やっぱり人間関係とかいろいろ、適応できなかった。それで、たまたま募集を見て施設に勤めたら、すぅっとはまったという」
太田―
「居場所が見つかっていくというような感覚なんでしょうかね」
大宮―
「えぇ」
太田―
「あの、例えばウチの施設でもそうですけども、多くの施設の研修などが方々で行なわれているときに、えぇ、例えばマニュアルどうなってますか、あるいはどのような手順書があってという質問をよく受けるんですけども、もちろんそれも大事なのかもしれませんが、この映画の中で私感じたのはマニュアルがないということと、まさにその人から発しているものに向き合ってる人間模様がものすごく描かれていて、どちらかというと今、介護現場で起こっているのはそのマニュアルがないと動けないとか、命令がないと動けないとか、そういう現象というのを目の当たりにしてきている。で、国の流れでも介護福祉士を養成するのをもっと難しく難問にしてきていますよね。で、その一方で、本当にこのお年寄りにとって何が大事かというと介護福祉士という資格では決してなくて、それがとにかく高度なものになっていけばなっていくほど目の前のお年寄りから離れていくというか、距離ができていくというか。それこそ居場所が皆わかんなくなっていくような、そのことを感じているんですね。その中での、この映画に登場するような施設というのはまだまだ沢山世の中にあると思うんですけども、映画に出ていらっしゃる方々、それぞれに魅力的ですね。例えば、予告編にも出てきましたが、井戸端げんきの代表の伊藤さんですね。“苦手な人には無理して優しくしなくていいよ、その代わり、惚れた年寄り、情が沸いた年寄りには徹底的に優しくしてあげなさい。そのほうがみんな力を発揮する”という言葉が出てくるんですが、まさにそれが井戸端げんきの“元気”になっていくんだろうかと思いつつも、それを他のスタッフの方々、現場で働いているスタッフの方々も、やっぱりそのような気持ちでやっているんでしょうかね。中には、そうは言ってもって日本人特有の平等感で、こっちにもやったからこっちにもみたいなスタッフが出てきたりはしないものなんでしょうか」
大宮―
「あれはあえて映画の中で使ったんですけども、それはもう半々ですね。それやってたんじゃいけないというか。マニュアルまでいかなくてもみんな平等に与えるべきじゃないかという意見もあります。伊藤君というのは“介護というのは愛じゃないんだ、情(ルビ:じょう)なんだ”とずっと言っていて、僕はその情というところがすごく引っかかって。それで、“伊藤君は、いつも情だ、情だ、情だというけど、愛じゃないの?”と聞いたんですが、“愛だと惜しみなく全ての人に同じように、ということになる。それは俺は神様じゃないからできない”と言うんですよ」
太田―
「あ、面白いこと言いますね」
大宮―
「“神様ならできるかもしれない”と。“でも俺達人間は、やっぱ、嫌いな老人もいる”と。ただ、“利用者の方をスタッフ全員が嫌うことなんて絶対ないんだ”と。“この人はこの人が好きだけど、こっちのスタッフはこの人が好きだ”とか。実はそれがうまくいくんだと。そのほうがスタッフのテンションが上がるという意味で彼は言ってるんですが、ちょっと誤解を招くというか、でも実際、介護の現場で働く方にとっては、目から鱗と言いましょうか、あ、それでいいんだという風にちょっと、ほっとしてもらったという言葉だったかもしれないですね」
太田―
「やはり、私なんかやはり介護の世界で生かさせてもらってて、そういう意味では、ほっとしたい訳ですね。 (C)大宮映像製作所 どんな研修行っても重荷を背負わされてというか、つらい気持ちになって帰ってくることがよくあるので、これを見たときに、また明日からやっていけるというか、そういうものをすごく感じて見てました。で、出てくる人みんな、ものすごく元気なんですけども、ちょっと、これ聞いていいのかどうかわからないんですが、自主事業であるとか、介護保険摘要されない事業やってる方々が多い訳ですよね、この中で。じゃあ、現実的な話お金ってどうしてるんだろうと。資金ってどうしてるんだろうという疑問が常に、沸きながら見てたんですけども、その辺はお答えできる範囲でいいんで」
大宮―
「はい。四つ施設あるんですが、確信犯が二つです。介護保険絶対使わないと。こんなものやめちまえと言ってるのが二つ。それ以外の若い人がはじめた2つの施設は、昼間のデイサービスは介護保険を使っています。ただ、介護保険上、利用者を泊まらせられないんですね。泊める必要がある人は泊めると。ただそれは介護保険は使えないと。で、介護保険を使わずに自主事業という形でやってるというところなので、四つの施設のうち二つは介護保険を使ってるんですね。お泊りだけは使ってない。友達の家に遊びに行って、今晩遅いから泊まってけばという感覚ですよと。ただ何日もタダ飯食わせるわけにはいかないので、ちょっとお金はもらってますけどもね、という感覚ではあるんですよ。で、今御質問にあったのはたぶん介護保険をまったく使っていない二つのほうですね。ここは、一万円という料金とした場合、一万円のサービスは介護保険を使えば千円なんですね、一割負担ですから。ただ、この定価は介護保険は使わないので、定価を無視できるんですよ。もちろん定価を千円にすることはできないですね。ただ、なるべく千円に近づけようとして、七千円、六千円、そういう風になるべく千円に近づけようとはしてるんですが千円にはならない。ただ、定価が一万円ではないという。そこら辺での創意工夫で」
太田―
「ぎりぎりのところで」
大宮―
「そうですね。御家族の経済状況とか様々なこと加味しているわけです。ですから経営は大変ではあります。本当に大変というのは、よくわかりますね」
太田―
「これ、どうしてもお聞きしたかったのは、資金力があってこういうことが実現するのではなくて、まさにその思いであるとか居場所を作っていきたいという熱意がここを作ってるということを聞いてみたかったところがあったんですね。世の中に介護保険施設とか、事業所、認可受けない事業所も世の中にいっぱい出てきてますけど、問題ありの施設もいっぱいある訳ですね。そういった中で、こういう所が資金なくても本当の思いでやっているというところがクローズアップされていくというのは、これからの介護の可能性というのは、まさにね、“介護の春、もうそこまで来ています”とポスターに出てますけども、そういうことをイメージさせてもらえるんじゃないかなということがあってお金がなきゃ出来ないよと言う人も多いし、本当に悪さしてやってる人も多い中で、これまさに春だなぁと思って感じていたところです。それでは時間ですので、最後にお聞きしたいのはこの映画を撮り終えて、そして編集されて、今売り出すときに、世の中の課題というか介護のこれから抱える課題、そしてこれからの希望というものがありましたら、お話いただきたいと思いますが」
大宮―
「あの、最初に申しましたように私は介護は本当に素人で、特に今回は積極的に勉強しなかったですね。特に介護保険については。介護保険って、たぶん、しちゃいけないことの羅列な訳ですね。 (C)大宮映像製作所 これをしましょうという積極的なことじゃなくて、これをしちゃいけないという羅列の制度なんでそれは仕方ないと思うんですが。私は介護保険は基本的には賛成です。いい制度ができたと思っています。たった十年で制度自体を云々言うのはどうかなと。この十年のいろんな不都合をこれから具体的に補正していけばいいとは思います。ただ、その、補正するには、実は、現実が制度を超えて、その現実を制度が取り入れるというのが一番いい制度だと、私は思いますね。制度がある、この中でやろうと思うと、これ変わんないですね。ですから、制度から一歩踏み出す。それが現実になったときに、それを制度が経済的にもバックアップするというのが一番いいと思いますね。小規模多機能という言葉はあとから付いてきたもので、小規模多機能という言葉があったから小規模多機能が生まれたのではなくて、小規模多機能という言葉が生まれる前から現実はあった訳ですね。それを介護保険上、行政用語で小規模多機能と。それと、そろそろ右肩上がり、発展、進歩するということをいい意味で諦める世の中というか、受け入れる世の中、国家も会社もシステムも常に上がっていかなきゃいけないんだという至上命題がちょっと強すぎたかな。それは人の生き方に関する分に、こう、右肩下がっていく、最後は死という、もしかしたら生物学的にはゼロになってしまいますね。そのゼロに向かっていく人達とどう付き合うかという世の中にシフトしていかなければならないという感じがしています」
太田―
「本当にこの『ただいま それぞれの居場所』で教えてくれるものは何かというと、その人の人生の在り方をどういう尺度から見ていくか、で、誰がどのように支えていくかということが明確に表されているし、医療が一番上、福祉はその下、そしてその受け手となる人はどこにいったの?という介護保険が始まってそういうところが見えてきたんですけども、まさに人があって、そこに、人の人生を支える医療であったり、福祉であったり、そして居場所であったりというもの、それぞれの者が支えていくんだという、ちょっと違う捉え方がこれから始まろうとしています。まさにこの映画はそういうタイムリーなところで起こっていることを記録した映画だと思いました」

大宮浩一(監督):プロフィール


  • 1958年生まれ。日本大学芸術学部映画学科在学中より、映像制作に参加。『ゆきゆきて、神軍』(87)、『アラカルト・カンパニー』(87)等で助監督を務める。フリーの演出家として民俗博物館等の展示映像をはじめ、CM・VP・教育映画などを制作。93年、(有)大宮映像製作所を設立。主な企画・プロデュース作品に、『よいお年を』(96)、『JUNK FOOD』(98)、『DOGS』(99)、『青葉のころ よいお年を2』(99)、『踊る男 大蔵村』(99)等。
  • 『ただいま それぞれの居場所』は文化庁映画賞「文化記録映画大賞」を受賞する。