『花と兵隊』/松林要樹監督



━━━松林監督は撮影を開始した頃、まだ20代だったそうですが、そも未帰還兵を撮影しようと考えたのはどういった理由からだったのでしょうか?

  • 撮影をし始めたころは、日本映画学校という専門学校を卒業して3年目でした。映像ジャーナリストのアシスタントをやっていたのですが、これではだめだと思っていました。自分で企画をあげ自分の作品をつくらないといけないと思ったからです。



━━━未帰還兵という題材は、日本映画界の巨匠の一人である今村昌平監督が、テレビドキュメンタリー『未帰還兵を追って』や『無法松故郷に帰る』などで取り上げています。『花と兵隊』のラストには「今村昌平に献ず」とクレジットされますが、松林監督は今村監督の作品をどのようにご覧になったのでしょうか?

  • 私が、2001年に私が日本映画学校に入学してすぐ、学校の3階にある資料室で、「未帰還兵を追って」というテープがあり、それをアパートのVHSテープで拝見しました。



━━━今村監督の作品から30年以上も過ぎているので、登場する方々の価値観もだいぶ変化しているように見受けられました。実際、松林監督の中で、何か感じられたことはありますか?

  • 今村監督の作品を初めてみたときから、カメラが回っていたから藤田松吉さんはリップサービスをなさっていたと感じました。だから、あまり価値観が変化しているということを強く感じることはありませんでした。今村監督の作品では、太平洋戦争で地獄を見た方たちの生々しい言葉を捉えているので、後発の私が、たとえそれ以上の証言を提示しても、単なる後追いになると思っていました。今村監督が作られた作品では、現地で迎えたご家族のことに、ほとんど触れておられなかったので、そこを調べて作品にするしかないと思っていました。



━━━僕は『花と兵隊』を拝見して、まるで若い世代への先達からの遺言書のように感じました。キャメラに向かって言葉を探し、懸命に語る姿は感動的です。その点で、この作品は、松林監督でなければ撮れなかった作品であると思います。キャメラ一台を持ち、単身、撮影に挑んだそうですが、どのように対象者を探し、お付き合いをしていかれたのでしょうか?



━━━『花と兵隊』は一見、“兵隊=男くさい”というイメージを想起してしまうのですが、未帰還兵の奥さんたちがとても魅力的に登場します。松林監督が女性たちに感じた想い、その存在に込めた意味とはなんだったのでしょうか?

  • 現地の人たちに、戦争で傷つき、居場所のない兵隊がいやされたんだなと思いました。花が咲くには、土地に根を張らなければなりませんから。彼らの生きざまが、その土地に根を張るような感じがしていたのです。人が一人では生きてゆけない。そんな単純なことをあらためて感じていました。なので、女性たちだけに限定した意味というのでは、ありません。



━━━登場する未帰還兵の皆さんは、日本に帰らないことを選び、それぞれの国に残りました。なぜ彼らはそのような選択に至ったのでしょう?

  • 残られた方たちにもこれだと一つに絞れるような明確な答えはありません。いくら取材をしても見つからない、映画を見ても明確な答えがないことです。安易に答えを出さないことが、映画ではないでしょうか。



━━━今年(2010年)は戦後65年という節目ですが、今、この作品を観る人たちに伝えたいことは?

  • 作り手がいくら終着点を用意しても、映画を見て感じることは人それぞれなので。もし気に入っていただけたら、より多くの人にこの映画の魅力を伝えてください。よろしくお願いします。

松林要樹(監督):プロフィール


  • 1979年福岡県生まれ。2004年、日本映画学校卒業。卒業制作として『拝啓人間様』を監督・編集。
  • 05年、アフガニスタン、インドネシア、アチェなどの映像取材に従事。フジテレビ「ニュースJAPAN」にてアフガニスタン選挙取材が4回放送される。
  • 05年より、バンコクを拠点にテレビ番組の取材と並行して、インドネシア、タイ、ミャンマー国境付近にいる未帰還兵の取材に取り組む。
  • 監督第1作となる『花と兵隊』は第33回山路ふみ子映画賞<山路ふみ子福祉賞>や第1回『田原総一朗ノンフィクション<奨励賞>』を受賞する。