▶︎『OKINAWA1965』を紐解く3つのキーワード

祖国復帰行進

日本への本土復帰を掲げる広範な団体が、それぞれの主張の違いを脇に置き、「祖国復帰」という一点で共同した沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が、主催した初の統一した行進運動。復帰協には、沖縄人民党、社会党、社会大衆党などに加え、保守系の会派も参加。労働組合や県内各地の青年団や婦人連合会、宗教者の団体も参加していた。
1964年に初めて行われた祖国復帰行進が、復帰協としてのコンセンサスを取れずに、沖縄人民党だけが取り組んだ結果、米軍の弾圧を受けたため、「祖国復帰の思いは共通。取り組むなら、やはり統一してやるべき」という声が強まり、1965年に実現。嬉野さんはこの初めての祖国復帰行進に参加している最中、米軍トラックによる女児轢殺事件の写真を撮影した。

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人間らしい生き方を求めて~阿波根昌鴻さんと非暴力平和運動~

嬉野さんが沖縄の中でも大切にしているの場所がある。
伊江島の一般財団法人「わびあいの里」だ。
ここには反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」があり、戦争と基地被害の証拠が所狭しと並べられている。
「ヌチドゥタカラの家」は農民の立場から非暴力平和運動を提唱し、基地反対闘争の先頭に立ってきた故・阿波根昌鴻さんが1992年に建立した平和をつくる実践活動の拠点である。
非暴力平和運動はその名の通り、暴力に頼らず、話し合いによって問題を解決していくというもの。
沖縄戦やその後の様々な運動による経験で「暴力は何も生まない」と実感した阿波根さんの精神が産んだ運動方針である。
「ヌチドゥタカラの家」には、福祉施設「やすらぎの家」が併設されている。
障がいを持った人間にも老いた人間にも優しくなれる福祉の精神を持った社会づくりこそ、平和への第一歩であるという理念で造られた場所である。
阿波根さんは「福祉と平和の村」を目指していたのだ。
平和運動と福祉というと全く別なもののように思ってしまうが、よく考えて見ると両方とも、思考する能力と理性を持った「人間」でなければ出来ないもっとも「人間らしい」思考と言っても過言ではない。
まさに憲法9条(反戦平和)や憲法25条(社会保障)の精神を具現化しようとする精神がここにはある。

アレン・ネルソン~『沖縄に基地はいらない』を提唱した元・米軍海兵隊員~

元海兵隊員のアレン・ネルソンさんは、1966年に沖縄のキャンプハンセンで訓練を受けて、ベトナム戦争に投入された。1995年に起きた12歳の少女レイプ事件について、自分で調べ、沖縄の基地が以前にもまして強化されていることを知り、翌年、沖縄で平和運動をしているグループに呼ばれる形で30年ぶりに沖縄を訪れた。アレンさんはアメリカで「沖縄駐留米軍をアメリカに連れ戻すネットワーク」を立ち上げ、年に一度はかならず沖縄に行った。
嬉野さんはアレンさんがこうした活動を日本でするのであれば、自分にできる手伝いをしたいと申し出た。アレンさんが日本で講演活動をするとき、ニューヨークから嬉野さんの家にやってきて、講演に出かけていく。移動の合間には嬉野さんの家で休息する。嬉野さんは、東北、甲信越、関東近辺は講演主催者との連絡も引き受け、会場まで案内していた。

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 嬉野 京子(報道写真家/ディレクター)

◉ Profile
1940年東京都出身。著書に『沖縄100万の叫び-嬉野京子写真集』、『戦場が見える島 沖縄 50年間の取材から』(ともに新日本出版)等。2016年JCJ特別賞を受賞。