企画意図

「戦争の頃、北上には軍需工場があって、アメリカ軍の空襲を受けたことがある。国見山の方からグラマンの編隊が飛んできたのが見えたんだ」
 
私がまだ小学校の低学年ぐらいの頃、祖父が話してくれたことがあります。祖父は戦時中、現在の北上市常盤台にあった軍需工場・国産軽銀岩手工場に勤めていました。戦争や空襲は自分たちと縁遠いものと考えていた私にとって、この祖父の話は意外なことであり、そこから初めて「戦争」を身近に感じることが出来たのです。
戦争と言えば、「広島、長崎」、「沖縄戦」、「東京大空襲」が有名で、学校の平和教育でも主にこの3つを中心とした教育が多いのではないでしょうか。
しかし、私は祖父の話をきっかけに「戦争とは日本全国各地域に多大な影響を与えたものなのだ」と知り、「自分の町にも戦争があった」ことを意識することが出来ました。きっと知られていないだけで、日本の各地域には同じように戦争の足跡が眠っていることでしょう。
 
アジア・太平洋戦争の敗戦から70年以上の月日が流れた今、当時を知る人も少なくなり、戦争の記憶をどのようにつないでいけば良いのかが問われる時代となりました。
そこで私たちは、2020年に戦後75年を迎えるにあたり、祖父の話をきっかけに北上・和賀地域に眠る戦争の記憶を紐解き、自分の足元から戦争を見つめ直すドキュメンタリー映画を製作することを決意しました。
 
調査を進めていくと私の地元、岩手県北上市は「東北地方のへそ」とも言われる歴史的地理環境があり、戦時中は岩手陸軍飛行場や、私の祖父も勤めていたという国産軽銀岩手工場や岩手陸軍飛行場(後藤野飛行場)、捕虜収容所などの戦争に関わる施設が建設され、“戦争の縮図”ともいえる戦争遺産が残されている地域であることが分かってきました。
また、北上市の西側に位置する和賀町は、かつて『戦没農民兵士の手紙』や『あの人は帰ってこなかった』、『石ころに語る母たち』、『七〇〇〇通の軍事郵便』、『農民兵士の声が聞こえる』といった書籍で知られた地域でもありました。ここには、戦時中、同地区で長く教師を務めた高橋峯次郎さんに戦地の教え子たちから寄せられた7000通以上の軍事郵便が保管されています。
2002年には、峯次郎さんに寄せられた軍事郵便や銃・衣服、教科書など、戦時資料約400点が展示された北上平和記念展示館が開館し、市内の小学校の課外学習などに活用されるなど、北上の戦争を伝える重要な拠点となっています。
 
私たちは、このように郷土に眠る戦争の記憶を、ドキュメンタリー映画という形で記録し、あらためて戦争とはなんだったのかを見つめ直し、後世に継承していきたいと考えています。
そして、完成した映画を全国に伝えていくことで、観た人たちが「戦争とは何か」についてを考えるきっかけになればと願っています。
映画の製作と上映に向けて、皆様のご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。 
 

都鳥 伸也(監督)