僕と金丸悠児さんが出会ったのは、もう10年前のことになります。
金丸さんの第一印象は黙々と作品を描き続ける「寡黙な作家」でした。
それだけに、アーティスト集団・C-DEPOTの活動を知ったときには、彼が80名近い人数を束ねて活動している「リーダー」であることに本当に驚きました。画家としての静かな様子とのギャップがあまりにも大きかったのです。
その後、金丸さんの著書『C-DEPOTのキセキ』を読んだ僕は、就職という道を選ばず、一人のアーティストとして自分の作品と活動だけで社会と向き合ってきた彼に、同世代の表現者として尊敬を覚えるようになりました。
それはきっと僕自身が、日本映画学校(現・日本映画大学)を卒業した際、助監督やAPなどの経験もなく、自らの企画でプロデューサーとしてデビューし、資金調達から現場、上映活動と、映画一作品全体の責任を負う立場となったことと無関係ではないでしょう。
22歳のときのことでした。経験の少ない中、責任者としてすべてを統括するのはとても不安でつらいことです。ときには恐怖さえ覚えます。そんなときにC-DEPOTの活動を知った僕は、自らの手で自らの存在を確立しようと活動している金丸さんの姿に勇気づけられ、励まされました。
そんな彼らへの共感をドキュメンタリー映画として作品にしたい。それが『響生(きょうせい) -アートの力-』が生まれたきっかけです。
「アーティスト集団」という表現に僕は当初、ピンと来ませんでした。
個人作業であるアートの作家たちが、なぜ集団で活動をするのか疑問だったのです。だけど、このドキュメンタリーの撮影を通じ、各アーティストが互いに刺激し合い、響き合いながら活動をしているのが、C-DEPOTの魅力なのだと気がつかされました。
アートは個人作業ですが、作品を生み出すにも周囲に誰かがいるということは重要な要素となりうるのです。
人間は一人では生きていけない。
グローバル化、ITの進化とともに選択肢が広がり、価値観も多様化する今、自分の世界に固執しがちな「個の時代」に、それぞれのメンバーが互いに響き合いながら生きているC-DEPOTの活動は新たな集団のあり方を指し示してくれているように僕は感じています。
「共生」ではなく「響生」。
きっとこの言葉はこれからの時代にとっての大切なキーワードとなっていくに違いありません。
完成記念イベントでは、映画の上映や、金丸さんをはじめとするC-DEPOTメンバーによるアーティストトークを通し、C-DEPOTの魅力や僕たちが映画に込めた想いを存分に感じて頂ければ嬉しいです。

都鳥伸也(『響生-きょうせい- アートの力』監督)

C-DEPOTは2002年に立ち上げて以来、多くのメンバーと支援者に支えていただきながら、現在まで途絶えることなく活動を続けてこられました。C-DEPOTは、アーティスト達による能動的な発信の場として展示を重ね、近年では社会に耳を傾け寄り添うことで、既存の枠組みの外側にあるアートの可能性について模索しています。
アーティストにとって「つくること」と「生きること」が「=(イコール)」で結ばれるためには、どうすればよいか。ひとえにアートといってもあまりに多様で、容易には答えに辿り着けないのですが、執念深くこの取り組みを続けていきたいと考えているところです。
そしてこの度、都鳥拓也さん、伸也さんによって、C-DEPOTの活動を映像作品として記録に残していただけることになりました。私達の活動の片鱗から、社会におけるアーティストの生き方や在り方について、一人でも多くの方と問題意識を共有することができましたら幸いです。

金丸悠児(画家・C-DEPOT代表)

◉ プロフィール
金丸悠児(かなまるゆうじ)
1978年、神奈川県に生まれる。2003年東京藝術大学大学院デザイン専攻を修了、在学中は大藪雅孝、中島千波の元で指導を受ける。独自のマチエルを用いた絵画手法により、古代から紡がれる人間の生命観や地球観を、動物や建物を描くことで表現している。他方ではアーティスト集団C-DEPOTを設立、代表を務めるなど、作品制作以外のアプローチからも芸術と向き合い、社会におけるアーティストのあり方を追求している。主な展示に、EXHIBITION C-DEPOT(2003〜)、損保ジャパン美術財団選抜奨励展(2005)、韓国青年ビエンナーレ(大邱文化芸術会館 / 2006)、ShinPA!(おぶせミュージアム・中島千波館 / 2007〜)、ShinPA 東京展(佐藤美術館 / 2007〜)、アートフェア東京2011(個展)、新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館(2013)、などがある。